[大打撃編]
過去において、一番ショックが大きかった落し物(いやこの場合忘れ物だと言うのが正しい表現なのだろう)は、何かと言えば。
『財布』である。
しかもこれは、普段の所持金から考えてみればはるかに大金が入っていた財布だったりする。
中身は五万も入っていたのだ!!
子供感覚で例えるなら、うまい棒5000本なのである。
更に書き加えるならば外身の財布はヌメ革仕様のランセルの二つ折りのブルーの長財布で、初海外旅行の記念として一緒に行っているのに母が買ってくれた本体価格は二万円のもの、さらに大阪からの帰りの新幹線の切符まで入っていた。
そう、旅先で乗ったタクシーの中にうっかり忘れてしまったのだ。
支払いを済ませたときに、小銭を別の財布から取り出したときに長財布の方を座席に置いたのが間違い以外の何者でもない、すんなり鞄にしまえよバカバカ私のバカと、何度自分を責めたことだろう。
タクシーから降りた後の、鞄の中を確認して気づいても後の祭り。
私の乗ったタクシーは、今度は私の財布だけを乗せてはるか彼方にいってしまった。
一応、警察には届けたもの5年も経ち、未だに戻ってくる兆しは残念ながら無い。
当たり前である。
そりゃ、あの現金と新幹線の切符しか入ってない財布だったらそれこそ「さあ、どうぞお持ち帰りください」って言ってるも同然なのだから。
結局私は予備の財布に入れていたお金で旅行中をなんとかしのぎ、最後の最後に新幹線代として五千円を友人から借りることとなった。(借りたお金は、直ちに返したことを補足しておく)
その件で二晩眠れぬ夜を過ごしたのは、我ながら驚くほど執念深い。
そして、二晩考えたあげくに転んでもタダでは起きない私は、翌日から臨時のバイトを情報雑誌で探し「落としたら、稼いで戻そうホトトギス」作戦を行うのであった。
ひょっとして私は金の亡者なのかと、自分の精神面をちょっぴり心配しつつも。
約三ヶ月毎週土曜日は、立ち仕事のバイトをして過ごすことと相成った。
そして月日は流れ、私の大きな心の傷も癒えた頃から、この出来事を人に話したりすると、驚いたことに「そういえば、私も財布なくしたことがあったよ」だとか「取られたことあるよ」と言った不幸話がワンサカと集まってくるのだ。
多分お互いを同志だと思い、その不幸に対して乗り越えた互いを称え、励ましあうのであろう。あえて、悪く言うならば傷の舐めあいとも言うのだが・・・。
しかし、今となってはとっくにショックも薄れ私は正直美味しいとさえ思っている。
但し、財布本体については未だに未練はあり、母に対して申し訳ないなとは思っていまるのだが。
散々、この話をいろんな人に広めて楽しんでるのに申し訳ないって言っているのも、空々しかったりしますが、これだけは嘘偽らざる本心なのです。
[まずありえないだろう編]
世の中には、なんでこんな物が道端に落ちているのだろう?と、疑問を感じさせるようなものが沢山落ちていたりする。
そして、私はその「何で?」って思われるようなものをごくごく最近落とすこととなった。
その品物は『自作おにぎり』アルミホイル包みである。
その事件があった当日、私は旅行のため朝五時起きであった。にもかかわらず目覚ましが鳴る前に目を覚ますと言う、体内時計が狂ってるとしか言いようが無い状態で目を覚ました。
朝食として前夜用意した自作したおにぎりと、おかず、ペットボトルのお茶を紙袋に入れ、他の荷物と一緒に持って出かけたのだが、外はあいにくの雨。
素敵な旅の始まりである・・・。
それでも、流石に三日間の行程で全部が雨になるとはまったく思っていなかった私は、後々荷物にならないようにと、小さな晴雨両用の折りたたみ傘を使ったのも悪かった。
ちなみに、素敵な旅の始まりはそのまま三日間とも素敵な旅の終わりまで続いたりするのである。
大雨の中、家の前の信号を渡った瞬間履いていた靴は水浸しであった。だが、しかし靴に関しては前日から覚悟は出来ていたので、思い入れの無い諦めの付く黒い夏用サンダルを用意していたので私は全然ヘッチャラさっ♪なんてお気楽モードで、駅まで小さな傘を差してトボトボと歩くことにした。
五分後には、もう目の前の信号を渡ったら駅への入り口だと足元は水浸しの私に希望の光が見えた瞬間ゴトンと足元で音がした。
嫌な予感と共に下を見ると紙袋が破れペットボトルのお茶がそこから落ちたのである。
こりゃヤバイと思った私は、濡れて破れた紙袋を抱えるようにして、駅への入り口へ急いだ。
雨に濡れながらも、なんとか駅のホームにたどり着いた私は、紙袋の中身を確認するとそこには、あるべきはずのアルミホイルの包みが消えていた。
「凄い!!イリュージョンダヨ!!」なーんて事は絶対言わないわけで、私はペットボトルを落とした場所よりも自宅に近い場所で落としていたわけである。
その時頭をよぎったのは、うわっキヨスクでおにぎり買わなくちゃであった。既に、拾いに戻る気力は持っていなかったのである。
いや、拾ったとしても、お米の神様に祟られようとも、それを口にする勇気は私には無い。
心の中では、ほんのちょっびり良心は痛むものの(私にだってちょっぴりは良心が存在するのだよ)
雨の激しさに、処分するために戻ると言う選択も浮かばないのだ。新幹線の時間だって迫っているのも事実だったりする。
こうして、また一つ家の近所で不思議な落し物が存在することになったのである。
しかし、この場合は落し物と言うより残飯扱いの方が正しいのかもしれない。
そして、この悲劇は極々単純な選択ミスの為に起こったことだったと後で気づくのだ。
紙袋じゃなくビニール袋を使っえば良かったことを・・・。
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